留学を経て現在5年生のお2人。留学をじっくり振り返ります。
こんにちは、蛮勇亭にゅーとんです。
短期連載「私のバシライフ 〜卒業を前に今思うこと〜」第2弾です!連載と言いつつだいぶ長いあいだご無沙汰してしまいましたが、前回告知した通り、第2弾は留学に行かれ、現在5年生のお2人にお話を伺いました。
2記事に分かれていて、前編の今回は留学しようと思ったきっかけや応募時の(ちょっとやばめな?)裏話、今だから話せる留学中の辛かったエピソードなどをお届けします!
対談者基本データ |
安藤さん:商学部の5年生。サークルはAIESECという学生の海外インターンシップを運営する団体に所属していた。留学先はドイツのオスナブリュック大学で、経営学や心理学を学ぶ。日本人に見えたり見えなかったり……?
鎌田さん:経済学部の5年生。サークルはALSAという法学系ディスカッションをするところに所属していた。留学先はアメリカのペンシルヴァニア大学で、経済学と社会学を学ぶ。インスタがOL並みにおしゃれなごはんの写真で溢れているらしい。
↑「大学生活を一言で表してください」というお題に対してのお2人。これらのことがどういう意味をもつのかを予測しながらインタビューをお楽しみください!
(左:安藤さん、右:鎌田さん。以下敬称略)
もくじ |
・留学のきっかけ
・大学選び/選考
・留学中のエピソード
--今日はよろしくお願いします。
安藤・鎌田「よろしくお願いします。」
--まず、留学しようと思った理由を教えてください。
鎌田「まず小さい頃海外に住んだことで“自分が日本人であり、だから日本のことも知らないといけない”っていう意識を持ってて。でも、日本に帰ってきたら“高校生までの自分のレベルでしか海外のことを知らないな、大人の視点から海外のことも知らないといけないな”って思うようになったんだよね。
だからこそ自分の考えがまとまってきた大学生のタイミングで海外に行けば吸収できることも自分から発信できることも多いなって思ったの。それで、大学在学中に海外に行きたいと思ってた。」
安藤「海外ってどれくらいの期間いたの?」
鎌田「3歳から8歳くらいまで香港にいて、そこから3年間日本に帰って。で、上海と北京に計4年半いて、そこからシンガポールに3年間行ってそこで高校卒業した。で、大学は久々の日本。」
安藤「結構転々としてるな。」
--安藤さんはいかがですか?
安藤「高校を卒業したときは全く留学を考えてなかってんけど、国際寮に入って留学に対する意識が変わった。小平の寮って日本人が集まるA棟と留学生用のE棟があって、たまたま俺らの代だけ“1年生をE棟に入れてみようぜ”っていう企画ができて、何も知らないままE棟に入れられて……。
鎌田「それすごいな(笑)」
安藤「俺は1歳半から3歳半までインドネシアに住んでたけど記憶が全くないからほぼ関西で育ってきたようなもので。それがいきなり東京で周りが外国人ばっかりの環境に入れられて“なんじゃこりゃ”って思った。最初の半年間はフロアメイトの留学生と一切話さなかった(笑)」
鎌田「まじ?」
安藤「うん、最初の会話がフラットメイトが帰国する前の夜に聞いた“明日のフライト何時?”だった(笑) そんなときに助けてくれたのがすでに留学から帰ってきて寮に住んでる先輩たちで。
その人たちが留学とか色々話してる時にキラキラ光って見えて、"留学行ったらこういう人になれんのかなぁ。自分もこの人たちが見た世界を見てみたい!"って思った。
あとは、日本って外から見たらどういう風にうつるのか知りたかった。」
鎌田「もう1個理由を追加すると、在学中の目標を作りたかった、ってことかな。大学って自由で束縛がそこまでないからだらだら過ごしちゃうけど、中長期的な目標を1個持っていると自分のよりどころがあって、“自分は留学に行くから頑張ってるんだ”って言えると思って。いい成績もとらないといけないしね。
体育会の友達を見てると日々努力してて、“自分なりにも何かハードルを作らなきゃな、ダラダラしてられないな”って思った。」
--お2人はどうしてそれぞれペンシルヴァニア大学、そしてオスナブリュック大学を選ばれたんですか?
鎌田「本当は3年生で留学しようと思ってて、“どうせならダメ元で出してみよう、チャレンジするならただでしょ!”ってことでLSEかハーバードに出したかったんだけどTOEFLと成績の問題もあったし、ちょうど応募の時期にばたばたしちゃってたし……
今ここで慌てて応募するよりも、どうせ留学行ったら5年生までやるつもりなんだからじゃあ4年生で留学しようって決めた。
それで、4年生になってからハーバードに出したんだけど結局ダメで、第2志望で応募したペンシルヴァニアになって。でもぶっちゃけ、“ペンシルヴァニアはアイビーリーグに入ってるからすごい大学”ってことしか知らなくて(笑) “フィラデルフィアっていう町にあるけどそれってどこ?”って感じで、割と漠然と選んでたな。
でも国に関してははっきり理由があって。アジア圏とヨーロッパは色々行ったんだたけど、アメリカはハワイしか行ったことなかったのね。で、ちょうど応募する時期にオバマが“世界の警察を辞める”って話をしてたけど、そうは言っても世界の中心はまだアメリカだと思って。そんな国から盗めるものは盗もうかな、と思った。」
安藤「盗んできた?(笑)」
鎌田「まぁそうだね(笑) 言い方超悪く言うと、“アメリカがなんぼのもんじゃい!日本人じゃいわしは!”みたいな。めっちゃガクブルだけど、でもそれくらいの心意気でいかないとダメだなって思ってた。」
安藤「俺はまずTOEFLとか成績の問題でアメリカは無理で、でも“ヨーロッパなら行けんじゃね?”と思って(笑) もともとヨーロッパに憧れがあったこともあって、4年の時の第1回の応募ではドイツのマンハイム大学に応募したの、ドイツのビジネススクールで経営学がやりたくて。
見事落とされたんだけど、でも2年生のときの1か月ドイツ語学研修でドイツいいな、って思ったのもあって2次募集でドイツ出したの。だけど、枠が残ってた大学はドイツ語でしか出願できないとこで、志望理由書が英語じゃなくてドイツ語じゃないといけなかったの。だから、“やばい”って思ったんだけどここが国際寮住みのいいところで……(笑)
ドイツ人の友達に“これ英語で書いたから全部訳して”、ってお願いした(笑) 1時間かからんくらいで全部訳してくれて、何書いてあるかほぼわからんまま提出した(笑)」
※良い子はマネしないようにしましょう。
鎌田「全然違うこと書かれてなくてよかったね(笑)」
安藤「ほんとに……ほぼほぼわからんかったからね(笑) あとドイツを選んだのは、ビール大好きだからビールの美味しいドイツでビール飲みたくて。」
鎌田「それが本当の理由なんでしょ?(笑)」
安藤「結構ね……でもちゃんとビール100種類飲んで目的達成したの!だてに“ビール飲みたいからドイツ行きたい”っていう定型句を言ってないからね(笑)」
↑本当に100種類飲んだ証!!
--如水会留学の制度についてはどう思いますか?
安藤「実は留学行く理由の一つに“お金もらえるから行こうかな”っていうのがあって(笑)」
鎌田「資金面の援助は大きいよね。如水会の支援もあるし、生活費もある程度もらえるし。負担はゼロではないけど最小限で行けて、すごいありがたかったよね。
選考の制度的にはやっぱり運だけどね、そのときにライバルがどの大学に出願するかわかんないから。
でも誰でもチャレンジできるっていうのはいいと思う。どうしても留学って帰国子女とかが行くイメージだけど、如水会留学は一橋が間に入ってくれるから“なんとなく留学してみたい”って漠然と思ってる人でも挑戦できる制度だと思う。」
安藤「逆にそういう人の方がいいんじゃないかな。だって“海外行きたい!”って明確に思ってる人は学校の後押しがなくても勝手に行くから。」
鎌田「帰国子女はもちろん英語ができるっていうアドバンテージはあるけど、そんなの海外行ったらみんな英語できるじゃん?だから志望する理由は英語ができるかどうかじゃなくてやりたい、っていう気持ちとか、どれくらい真剣に考えてるかってところなのかな、と思った。」
--出願や実際の書類提出などを経てようやく始まった留学生活だったと思いますが、一番楽しかったことは何ですか?
安藤「ユーロのドイツ戦をパブリックビューイングで観に行ったことかな。写真から俺のテンションがおかしい感じが出てるけど(笑)」
↑確かに一人だけテンションが2倍くらい高そうな安藤さん(一番右)
鎌田「俺はグランドキャニオンとラスベガスに冬休みに行ったことかな。みんなで車を借りて片道4時間くらいかけてラスベガスとグランドキャニオン往復したんだけど、片道3時間は寝てた(笑)」
↑後ろの壮大な景色より欧米人と顔の彫りの深さが変わらない鎌田さん(後列真ん中)に驚く蛮勇亭にゅーとんでした(笑)
--では逆に一番辛かったことは何ですか?
鎌田「Global Justiceっていう授業かな。その頃ISISとかボストンのテロとかを受けて“なんか今世界がピキピキしてんな”(ド素人並み意見)って思ってて、偉そうにも国際政治を意識し始めてた。
それまで国際政治系の勉強をしてこなかったんだけどアメリカはそれの本場だから自分も恐れ多いけど学んでみようと思って、何を血迷ったのか哲学の授業をとった。それがGlobal Justiceっていう授業なんだけど、もう名前からしてやばいでしょ?(笑)
受講者はもうカントとかの哲学的なことを踏まえた上で議論するんだけど、俺はセンター試験レベルの知識しかなくてみんなと全然レベルが違って。まずみんなに追いつかないとと思ってすごい勉強したんだけど、日本語で読んでもわかんない哲学を英語で読むっていうのは死ぬほど辛かった。
知識がついても議論も日常会話とは違って専門用語ばっかりで。でもやるしかないから24時間あいてる大学の図書館に行きまくった。」
--教授との関係性はどういうものでしたか?
鎌田「アメリカの教授は自分から何もしなければ何もしてくれないんだけど、求めたら与えてくれるから、教授のところに行って“自分は日本から来た者で、経済学部なんですけど……”って言ったら、“じゃあこういうことしてみたら?”ってアドバイスもらって。
最初は10言われたことに対して4、5くらいしか返せなかったけどだんだん8くらい返せるようになって、たまに10とか11とか返せるようにもなってた。そしたら教授にも“こいつやる気あるな”って認めてもらえるようになって、自然とついていけるようになった。」
安藤「“やめたい”ってならなかった?」
鎌田「“もう留学やめたい!帰りて〜!”って思ったよ。自分は生まれた瞬間から不器用な“ナチュラルボーン不器用マン”だから皆よりも入念に準備しなきゃって思ってたのもあって、その週2回・90分の授業のために1週間費やしてたの。
だから“自分何してんだろ”って思ったけど、如水会と両親からの支援もあるし、友達にも助けてもらったし、“あれだけ留学行きたいって言ってたのに授業ごときでうじうじしてる場合じゃねえ!”って思ってやり続けた。
あと、体育会の友達とかサークル頑張ってる人に比べて自分は今までのんびり過ごしてきたから、“みんなが感じてたであろう辛さを自分も今経験してるのかな”って思って、とりあえず無心にやった。
けど最後はなんかわかんないけど慣れてきて、むしろ楽しくなってきてて……この授業の前には武者震いなのか知らないけど若干ハイになってた(笑)」
--安藤さんは一番辛かったことは何ですか?
安藤「1番は人間関係かな。英語とかドイツ語で話すとすごくシンプルな言葉しか使えないから細かい感情表現が排除された形でしか会話できなくて。
でも向こうはそのシンプルな言葉で俺のことを判断するわけじゃん?“言いたいことはそうじゃないんだよな~”と思いつつ、曖昧な部分をちゃんと人と共有できなくて、相手のそういう部分も理解できなかったのはストレスだったな。
あとは自分の過去を知ってる人はドイツにおらんわけやん?」
鎌田「全員が初めましてだもんな。」
安藤「そうそう、だから全部を話せる人があんまりいなかったのは辛かったな。あともう一つは、俺は卒業に必要な単位を全部取り終わって行ったから、何やってもいい状況だったの。」
鎌田「留学中にとってた授業全部Fでもよかった、と(笑)」
安藤「そうそう、制度上は全然OKで(笑) 何やってもいいっていう環境に置かれたときに、無駄な時間を過ごすんじゃなくて自分で目標を作って、その目標に対してどんなふうにアプローチするかを考えるのがきつかった。」
鎌田「自分はのんびり過ごすタイプだから無駄な時間は好きなんだけど、留学って時間もお金も使われてて、与えてもらった環境の中での自由だったから、ぼーっとする自由はそこには費やせないと思った。それは他の学生も見てても思ったかな。
ペンシルヴァニアでよく“睡眠、遊び、勉強のうち3つは両立できないからその中で2つ選ばないといけない”って言われてて。ペンシルヴァニアは競争が厳しいから勉強はみんなマストで、だから“よくない無駄な時間”はみんななかったな。」
こうして始まったお2人の留学生活……。
後編は留学を通して気づいたこと、5年間大学生をやることについて、海外で◯◯に間違えられた(?)話など、盛りだくさんの内容で今週中にお届けします。お楽しみに!
以上、蛮勇亭にゅーとんでした。
次回のもくじ(予定) |
・日本と海外の学生比較
・国籍観の変化
・留学を通した一番の成長
・5年生をやることについて
・ゆるーいネタ話(笑)
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