外の世界に触れ続けた4年間。学外活動の魅力とは?
こんにちは、蛮勇亭にゅーとんです。
短期連載「私のバシライフ 〜卒業を前に今思うこと〜」も無事3回目を迎えました!“卒業を前に”というタイトル名なくせにもう卒業式終わってるぞ!というツッコミは受け付けません(笑)
今回は学外の団体で色々な活動されたお2人にお話を伺いました。
実はこの連載の対談者はリレー方式で4年生に紹介していただいていて、今まで男性ばかりで“やばい、橋女が全然出てこない!”と心配していたのですが、やっと今回橋女が登場します! (笑)
対談者基本データ |
清水さん:社会学部4年生。学内では一橋の国際交流団体GETに入ってスイスの大学生と交流するプログラムに参加し、3年の夏から1年間イギリスに留学。それと並行して学外活動も積極的に参加し、HLABという高校生向けのサマープログラムに参加したり、アメリカ大使館の傘下にあるNPO法人に携わった。音声ファイルの書き起こしが感動するほど楽なくらいおっとりした口調の持ち主。
新城さん:商学部4年生。学内ではAIESECで2年生まで活動し、渋沢スカラーシッププログラムに属す。3年の夏から1年間ベルギーに留学。それと並行して学外活動も積極的に参加し、清水さんと同じHLABや、移民労働者向けのNGO法人などに携わった。留学先で物件詐欺に遭いかけるというハプニングも……。
↑「大学生活を一言で表してください」というお題に対してのお2人。これらのことがどういう意味をもつのかを予測しながらインタビューをお楽しみください!
(左:清水さん、右:新城さん。以下敬称略)
もくじ |
・学外活動参加のきっかけ・秘訣
・印象的だった出会い
・学びと実践のつながり
・進路の模索
・留学を経て4年で卒業すること
・頑張る原動力とは
--今日はよろしくお願いします。
新城・清水「よろしくお願いします。」
--対談者基本データを見るだけでもお2人が学外活動にかなり積極的に参加されている印象を受けるのですが、大学入学時点ではどういうことをやりたいと思っていたんですか?
清水「最初は“外の団体で何かしよう”とかは思ってなかったな。とりあえず昔やっていたダンスをもう一度やりたくなって早稲田のインカレダンスサークルに入ったの、忙しくて辞めちゃったんだけど。でも気づいたら色んなお誘いとかご縁があって、結果的にこういう経歴になってた(笑)」
新城「私は実はあんまり高校が合わなくて……。だから自分が楽しく学校に通いたいとしか思ってなくて。」
--新城さんも色んなご縁があって学外の団体によく参加するようになったんですか?
清水「でも聡子(新城さん)の方が自発性があったよね。」
--AIESECに入ったきっかけは何でしたか?
新城「実は私、中学生のときに会社A(※)でインターンをしたことがあって……」
※某超有名コンサル。ちなみにAと書いたからア行の会社、というわけではないです(笑)
清水「は????ちょっと待って(笑) ほらやっぱ違うじゃん、自発性が(笑)」
新城「職場体験ってあったでしょ?その時に村上龍の『13歳のハローワーク』っていう本でコンサルティングっていう仕事を見つけて、バイトでもできそうなところよりはコンサルに行ってみたいと思って。会社Aに5日間入れてもらうことができたんだけど、そのときに“あ、自分って教室とか部活の中の一人じゃなくて、こういう大きな社会の中の一人なんだ、すごい!”ってわくわくして。
だから、なんとなく学生の立場で社会に出るのはいいことって信じてて。AIESECって学生が会社でインターンするのを斡旋する団体だから、面白いなって思って入った。」
--中学生でそこまでの行動力があったのはすごいですね。
新城「自分でも今なんであんなことしたのかわからない(笑) でも本当にみんなが今知ってるようなコンサルには全部メールとか電話で連絡した。」
--そんな風に活動的になられた背景は何かあるんですか?
清水「私は4歳から12歳までと、高校の3年間をアメリカで過ごして、半分日本人、半分アメリカ人みたいな育ち方をして。アメリカの小学校って“あなたたちはみんなそれぞれ特別なんだから自分を信じればなんでもできるし、何をしてもいいのよ。”っていう教育方針なのね。
それに加えて高校のときはボランティアとか課外活動をしないと卒業できないから、そのときから“自分はどこの団体で、どういうことをしたら人の役に立てるかな”っていう考え方を意識付けられたのかもしれない。」
新城「私は親が再婚したのね。前のお父さんは大企業に勤めてるようなすごい古典的な人だったんだけど、新しいお父さんは一回も就職したことなくて、“漫画家志望・大学は通信”っていう人で。でも生活は豊かにできてたから、色んな生き方があるっていうことに気づいて。
もしかしたら人生って職業とか大学とか、周りに見えている選択肢だけじゃなくて、頑張れば他にももっと選択肢があるのかもしれないって実感して、自分の意識が変わったな。」
清水「あとは“どうやって色んな団体を見つけるの?”ってよく聞かれるけど、それは誰でもできることだし、外の団体に手を出しても、自分が所属しているところに迷惑がかからなければ、逆に“なんでダメなの?”って思う。
ただ、“やっていいんだ”って自分を後押しするのが私たちは昔から強かったんだろうね。」
--それを積み重ねていったらもっと色んなところに飛び込めるようになったということですか?
新城「積み重ねるって言っても、例えば中学生のときは30、40社にあたって1社にやっとOKもらったくらいだったから、“これがやりたい!団体見つかった!やろう!”ってほど単純ではなかったな。
何をするか迷った時期もたくさんあったし、やりたいことがあっても自分のスキルが足りなくて面接に落ちたり、コミット力の壁があったり。一橋は都心から遠いから、都心のインターンで週2,3回来てくださいって言われても無理で……(笑)」
清水「私は簡単に始めるし簡単に辞める。入りたいところがあったら“自分はこういうことできますよ!”って言ってすぐ入れてもらう一方で、切り替えが早いから自分にも相手にもプラスにならないって思ったらすぐさよならする(笑) そのおかげで色んなことに挑戦できたかな。」
--様々な活動の中で、色んな方と接してきたと思うのですが、一番印象的だった出会いはなんですか?
新城「移民労働者支援のNGO法人にいたときに、外国人が集まりやすいような日雇い労働者街にインタビューのために行ったのね。そこで出会った人の中で生活保護をもらったらもう少し楽になるだろう人も、家族に生活保護に必要な署名をさせたくないから生活保護をもらわない人がいて。
あとは“苗字が『ん』から始まっていて、それは保険証には表示できないから”という理由で日本の保険証を発行してもらえない外国人がいて、そういう人たちに会ったときに自分が見えている社会って狭いなって感じた。」
清水「私は、GETで資金援助の渉外活動をしていたときに出会った女性がすごく印象に残っているな。スイス大使館に渉外に伺ったときに、そこで働いていた日本人の女性が、“THE仕事ができる女性”って感じでキラキラしていて。政府の組織で働いている女性で、フランス語、英語、日本語、ドイツ語もできて、テレビとかで見るような人を目の前にしたのは初めてだったから、そこから大使館に興味を持つようになった。それがのちのちTOMODACHIイニシアティブ(※)への参加につながったの。
私は結構人との出会いに感化されて次のやりたいことを決めるっていうことが多いんだけど、その人は今でもすごく印象に残っているかな。手が届きそうで届かない存在で、でも少しでも近づきたいからまずそこの組織(政府関係)に入ろうっていう安易な考えなんだけどね(笑)」
※TOMODACHIイニシアティブ:アメリカ大使館の傘下にある官民パートナーシップの団体で、日米の交流促進のために若い世代の交流プログラムを企画・運営する。清水さんはここで広報記事の翻訳やイベントの企画会議、プログラム参加学生へのオリエンテーションに参加。公式HPはこちら。
清水「その女性に出会った直後に、文科省が主催しているESD(Environmental Sustainability Development)っていうユネスコ主催の会議が名古屋であって。世界中から文科省の大臣とかが来て、“持続可能な開発のための教育”について話し合う会議なのね。
*ESDの公式HPはこちら
それで、その学生ボランティアを文科省が募集してるのを見つけて、政府関連の人たちと近づけていいなと思って応募して、私はオーストラリアから来た2人の教育院長みたいな女性とその下で働いてる男性の通訳兼生活のサポートをしたの。
政府の人って明確な目標が“売り上げいくら”とかじゃなくて、本当に遠いビジョンしかなくて果てしないじゃない?でもそれに向かってコツコツと毎日会議の予習復習とかをして前に進んでいて、そういう人たちの努力によって大きな政策は作られているんだなっていうことがわかった。」
↑本当に仲が良いお2人。お2人でどんどん会話が進んでいったので、とてもやりやすい取材でした(笑)
--いわゆる“アウトプット”が多かったお2人ですが、学校で学んだこと、いわゆる“インプット”したものとつながったことはありますか?
清水「私は若い世代の育成とか、教育に携わりたくて社会学部に入ったんだけど、教育関係の授業で “先生の役割”について学んだの。HLABでの私の役割は日本の高校生のサポートだったんだけど、そのときに先生の役割は意識してできたと思う。
“生徒同士の関係に先生はどこまで介入するのか”とか、そういうセオリーを前提知識として持っていたことは役に立ったかな。」
新城「私は経営を勉強していたから、会社が売り上げを出すために“商品プロモーションをして、短期間でいっぱい売る”っていう経営戦略を使うことを勉強したんだけど、そういうときに短期的に雇われて、その期間が終われば解雇されちゃう人たちがいるのね。それで、日雇い労働者街に行ったときに“もしかしたらこの経営戦略によって生まれたひずみが、ここで苦労しているような人を生み出しているのかもしれないな”って思った。
あと移民労働者についてもっと知るためにそれを専門とされている伊藤るり先生とか森千香子先生の開いている勉強会とか教養ゼミに参加したな。」
--もともと移民労働者に興味を持ったきっかけはあったんですか?
新城「HLABとかAIESECをやってると海外に行くことを前向きなこととして捉えるでしょ?でも実は行きたくないけど海外に行った難民がいたりとか、海外に夢を持ってやってきたけど色んな壁によってその夢が打ち壊された人がいるんじゃないかなって思ったの。
だから“国境を越えて移動するっていうのはどういうことなんだろう”っていうのを考えるようになって。だから大陸にあって、かつEU本部のあるベルギーに留学したの。」
清水「全部つながってるんだね。」
--では将来の進路はどんな風に決めましたか?
清水「私はどこから日本の教育に携わればいいのか未だにわからなくて。大使館でのインターンとか塾のバイトをやって、“こんなに熱心に教育に取り組んでいる人がいるにも関わらず、私が理想としているものには近づいてないな”って思って限界を感じてしまって。
だからより良い携わり方を知るためにも現状分析をして新たな提案をしているコンサルに興味を持ったの。まずは個々の小さなレベルの問題に携わって、いずれそれをもっと大きいレベルの“日本の教育”に役立てればいいかなーって思ってる。
マーケティングとかも興味はあったんだけど、商品のマーケティングをしたあとの、その先が見えなくて。そこで自分の原点の“教育をどうにかして、それを未来の子供たちとか日本に還元する”っていう部分に戻って、そっちの方がストーリー性があってやりがいを感じると思ったんだよね。」
新城「私は大学生活の中で会社にまつわる色んな視点を知ったのね。授業では経営者の目線を学んで、バイトとか移民労働者支援を通して労働者の目線を知って、留学先でサプライチェーン(物流)のことを勉強して関連する企業の目線も学んで。そしたら自分の中で“いい会社ってなんだろう”っていうのを、どの視点から見ればいいのかわからなくなっちゃって。」
清水「確かに、わかんない!すっごいわかる、その気持ち。」
新城「私はそれを実践者として、会社の中に入って考えたいなっていうことを面接で色んな人に言って、それで“それはうちの会社でできるよ”って言ってくださった会社の中で業種とか業界は全然考えず、一番反応がよかったところを選んだ。
色んな人から見て“いい会社だな”って言われるような会社を作るっていう過程の中に混ざりたいと思うけど、今はとりあえず現場に入って意思決定のプロセスとかその影響を知りたいっていう思いが強いな。」
清水「私も自分の教育のビジョンとかを話してて、“それできるの面白いね”って言ってくれたらいい会社だ、って思ってた。会社側も自分たちの会社にずっといてほしいっていうのももちろんあるけど、でも社員さんとかと話すと、“ステップでしょ?会社にいること”って。」
新城「自分の人生っていう目標の中でのステップね。」
清水「そうそう、だから“会社はその目標にいくまでのステップとしてうまく使わないといけないよね”っていう考え方が自分に合ってると思ったし、“社会をこうしたい”っていう大きいビジョンを持ってる人たちの集まりが好きなんだなって自分で思った。」
新城「自分の考えに共感してくれる人が多い企業はたぶん居心地はいいよね。でもそんな企業を探すのはすごい大変だった。私の求めていたことはいわゆる就活の業界分析とか業種研究とかをしても全くわかることじゃなかったし。」
清水「あと私たちは学外で色んな人と話す機会が多かったから、ある意味図々しくOB・OGと話せたよね。ロンドン留学中に如水会ロンドン支部で現地に赴任をしている人たちとの交流会があって、そこで自分のビジョンとかを話して、上手く考えを伝えるスキルがついたと思う。」
新城「私はブリュッセルに赴任してる人の家に泊まらせてもらったりして、その人と話していくうちに自分の思いが間違っているのか、伝え方が下手なのかがわかってきて。フランクな会話の中で考えが深まったり、より理解してもらえるにはどうしたらいいかがわかるようになったかな。」
--前回対談者の安藤さんと鎌田さんはお2人と同じように留学されていたのですが、5年生までやっていて、記事では5年やることの良さについて語って下さいました。新城さんと清水さんは4年で卒業されるということですが、その良さだったり、辛かったことについて教えてください。
新城「辛かったよね!!」(即答)
清水「辛かったね!!」
新城「だって私たち、1月はもう死んだ目で図書館の閉館のベルを聞いてたもん。“卒論終わんないね~進まないね~”って。私は7月に留学から帰ってきて卒論と授業と就活で……留学中にボスキャリ(※)も行ったんだけど、半年経ったら考え方が変わっちゃうと思って、帰国してからも就活したの。」
※ボスキャリ:ボストンキャリアフォーラム。前回対談者の安藤さんと鎌田さんも留学中に参加された就活イベント。ここで内定が出ることもある。
清水「私も結局留学から帰ってきてからも就活続けてた。」
新城「全部の企業受けたいと思ったら無理だよね。“受けられる期間に募集してる企業だけ、はい!”って割り切らないと。」
清水「私はそれでよかったな。ミーハーだから(笑)知ってる企業しか受けなかったし。」
新城「人事の人も、私が帰国したてだから“頭のおかしい変わった子でもいいかも”って思ってくれたのは良かった(笑)」
--もともと留学に行く前から4年で卒業するって決めていたのですか?
清水「うん、決めてた。もう大学でする勉強は特にいいかなって感じちゃって。」
新城「それわかる!」
清水「今何が自分に足りてないのかがわからなくて、今の自分を社会で試してみて自分の足りない知識とかスキルとかを知りたいっていう思いで、早く社会に出たかった。」
新城「5年やる人って就活をじっくりやるために伸ばす人が多いんだけど、1年間延ばしてゆっくり考えながら就活するより1年働きながら考えた方が、自分の働く軸とか、大事なものがわかるかなと思って。それに、銀行みたいに新卒じゃないと入れない企業に行きたいわけじゃなかったし、もし企業が合わなかったら変えればいいかなって。」
清水「そうそう、辞めればいいし。」
新城「でも私たちももし5年生やってたら“5年やってよかったです”って多分言ってたと思う。」
清水「どっちでも多分満足はしてたけど、今は4年で卒業の方がいっかな~って。」
新城「そうそう、そんな強い決断じゃなくて、いっかな~ってくらいの感じかな(笑) でも大変だったよね……留学先でも勉強したし、帰ってきてからも勉強しなきゃいけなくてさ。」
清水「でもこの間留学中の単位の互換申請して単位見たら、必要用件より20単位以上多く取れてて……(笑) 結果としてめっちゃ余裕だったけど、それまではわかんないから不安だったよね。留学行く前に結構単位とってたからその分は楽だったけど……。大変だったけど結果よかったよね。気持ちいい、今は。」
--ここまでお話を聞いていて、お2人ともすごくエネルギッシュというか、“やるぞ!”みたいなガッツを感じるのですが、そのパワーの原動力はありますか?
清水「うーん、オンとオフがはっきりしてるかな。何かをやるって決めたら、頑張る原動力は“やるからには成功して最大の価値を得たい”っていう欲が深いことかな(笑) でももうやらないって決めたら、一日中家でぼーっとしてる(笑)」
新城「そういう日めっちゃある!」
清水「一回色んな活動をやりすぎて“ああもう全部無理!”ってなったときがあって。全部を遮断して1週間何もしなかったのね。それは多方面に迷惑をかけているんだけど、でも戻ったら挽回するから。
だからその期間はたまに必要だなって思った。それこそやるときとやらないときをきっぱり分けて、やるときは全力でやる。」
新城「1つ大事にしてることは消去法で選ばないことかな。“これじゃない、これじゃない、だからこれ”じゃなくて、“これをやりたい”っていう風に思えるものをなるべくやろうって意識してる。あとは責任感がちょっと強くて、そして真面目なんだよね(笑)」
清水「自分で言っちゃうくらい本当にすごく真面目なの!(笑)」
新城「でも、オンとオフの差は激しくて。例えば留学先でも、“ああもうテスト勉強疲れた!”って思ったら、ポルトガル行きの航空券を予約して、“ベルギー天気悪いからポルトガルで勉強しよー”って(笑) 」
清水「でもポルトガル行ってほんとに勉強してたんだよ、ちゃんと(笑)」
新城「そう、海岸でサングラスつけてカフェでエスプレッソ飲みながら勉強してた(笑)」
--それはすごすぎますね(笑)
新城「でも“エネルギッシュですね”ってよく言われるけど、実際1週間のうちの活動的なのは6時間くらいだけなの。2人ともどうしようもなくくだらない日もあるし(笑) だけど、ちょっとしゃべりが上手いからエネルギッシュな時間が強調されてるだけ(笑)」
清水「そうそう、外面がいいんだよね(笑)」
--では最後に、一橋生に向けて何かメッセージはありますか?
清水「直感で生きるのが一番楽しいと思う。先のことを考えて行動するのも大事だけど、常に自分のビジョンが頭に入っていたら、自然と直感もそれにつながってて、“今これ楽しい、これやっていた方がいい”っていうのにつながる気がするの。
だから、失敗できる大学生のうちに直感に磨きをかけておくべきだと思う。もし失敗だったらそれこそやめればいいじゃん?“はい、すいませんでしたー”って(笑) 社会人になったら色々責任があるから簡単に辞めるのはダメだけど、今は直感で生きて、直感に磨きをかける時間かなって思う。」
新城「まだ社会人になってないからこれが正解かどうかわかんないけど、“学生しかできないことをしよう!”とはあまり意識しなかったな。今、学生生活の終わりを目の前にしても、やりたいことって髪切りに行きたいくらいで(笑) これを意識しない方が私は楽しかったし、楽になったな。
あと、“こうあるべき”って考えなくていいかなって思う。“インターンとか学生団体に参加すべき”みたいなの意見って山ほどあって、私も結構惑わされたの。でも結局、“やった方がいい・やるべき”って言われて始めたものは、あんまり続かなくて。だから人から“それやるの?”って言われることでも、はるか(清水さん)みたいに直感で正しいと思ったり、私みたいに真面目に考えてやりたいなって思ったりしたものをやった方が楽しいし……」
清水「その方が後悔しないしね。」
--お2人とも今日は貴重なお話を本当にありがとうございました!
清水・新城「ありがとうございました!」
↓最後にお2人に「もう一度大学生活が送れるとしたら何をしたい?」という質問に対する答えを書いていただきました。(左:新城さん、右:清水さん)
いかがでしたか?
経歴だけ見るともうすごすぎて取材するのも恐れ多いくらい(笑)のお2人でしたが、実際お話してみるとキラキラしつつもとても気さくで親しみやすい方々でした。
今の生活に物足りなさを感じつつ、“なんとなく一歩が踏み出せない・何をしたらいいかわからない”という方は、思い切って飛び出してみてはいかがでしょうか?
次回は一橋祭委員だった方、そして野球部のマネージャーだった方のお2人が登場します。1つのことを続けていくことの意味や、いわゆる“縁の下の力持ち”の立場で頑張る原動力などについてお聞きしました。お楽しみに!
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