そうだ、相撲を見よう。
みなさんこんにちは。単発ライターのものです。名乗るほどの者ではございません。
でもなんか名乗らないと都合が悪いらしいので、仮にU goって名乗ろうと思います。
タイトルの通り、今回は相撲のお話をします。ここ数年相撲人気の復活が見えますね。新たなスターの登場、協会の地道な努力。これらに加えて、先日の大相撲初場所では多くのファンが待ち望んでいた日がついにやってきましたね。大関の琴奨菊関が日本出身力士として10年ぶりの幕内最高優勝を果たしました。豪栄道関を突き落として優勝を決めた瞬間のお父さんの感極まった様子にもらい泣きした人は数知れません。中学生のころから琴奨菊関のファンをやってきた僕もめちゃくちゃ泣きました。その日のサンデースポーツで泣き翌日のニュースウォッチ9でも泣き、その後もyoutubeで動画を見ては何回も泣きました。いやあ、うれしかった、本当に…
しかし、ここまで書いておいてなんですが、今回の優勝で改めて疑問を感じざるを得ない点がありました。それは
「日本人と外国人力士の扱いが違いすぎる」
ということです。モンゴル勢をはじめとする外国人力士が悲願の初優勝を飾ったとき、こんなに祝福ムードがあったかと言うとそうではありません。それっておかしくないですか?言語も文化も全く違う異国から人生を賭して、命を燃やして大相撲の世界に飛び込んでくる若者ですよ?日本人以上の覚悟をもっている力士も多いはず。にもかかわらず、「日本人じゃない」ただそれだけの理由で祝福どころか冷めた反応をされることすらあります。
「若くて強いのが出てきたと思ったらまた外国人か…」
「まーた外国人の優勝か…」
ふざけるな。僕は声を大にして言いたい。
もちろん相撲発祥の国が日本である以上、日本人の優勝で大喜びするのはごく普通のことだと思います。テニスのウィンブルドンをアンディ・マレー選手がイギリス人として77年ぶりに制したときにイギリス国民がそうしたように。しかし、土俵の上では生まれた国なんて関係なくすべての力士が必死に戦っています。だとすれば、私たちファンも同じように声援を送り同じように勝者を称えるべきではないでしょうか?
つい前置きが長くなってしまいました。結局のところ、世に蔓延る極端な日本人びいきが僕は気に食わないのです。だから、今回は「思わず応援したくなる外国人力士」を紹介します。
<本文の前に…簡単な用語解説>
番付
…力士の階級。
大きく分けて上から順に幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序の口。十両以上は関取と呼ばれる一人前の相撲取りである一方、幕下以下は力士養成員とされる。ここを境に待遇の差がすさまじいため、天国と地獄とまで称されることも。
幕内はさらに上から横綱、大関、関脇、小結、前頭(=平幕)に分かれる。大関、関脇、小結は三役と呼ばれ、これらの番付は実力者の証と言える。
基本的にその場所で勝ち越せば次の場所での番付が上がり負け越せば下がる。
本場所
…取組が行われる期間。
一場所15日で年6場所。奇数月に開催され、それぞれ初場所、春場所、夏場所、名古屋場所、秋場所、九州場所と呼ぶのが一般的。開催地はそれぞれ東京、大阪、東京、名古屋、東京、福岡。
8勝すればその場所は勝ち越しとなるので、まずほとんどの力士は目安として8勝を目指すことになる。
栃ノ心 大けがからの復活、戦後最大の返り咲き
栃ノ心関は春日野部屋所属、ジョージア(グルジア)出身で1987年生まれの28歳。
2006年3月の春場所で初土俵を踏むと、持ち味の怪力を生かし順調に出世、初土俵からたったの2年弱、所要13場所で新入幕を果たします。 (これは歴代10位のスピード出世)
この後も三役昇進、複数回の敢闘賞受賞など活躍しますが、2013年7月の名古屋場所で彼を悲劇が襲います。
右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂
もう聞いただけで痛い…
この場所の残り日程はもちろん、この後3場所も続けて全休を強いられます。けが時には西前頭11枚目だった彼の番付は西幕下55枚目まで下がってしまいました。どん底まで堕ちた彼は引退も考えたといいます。
しかし親方に、「まさかやめること考えているんじゃないだろうな。バカじゃないか。あと10年相撲を取らないとダメなんだよ」と励まされ、周囲の人々に支えられた彼は地道なリハビリと身体づくりに励み、2014年3月春場所で4場所ぶりに復帰します。
するとこの場所から二場所連続で幕下全勝優勝、十両昇進を決め「お相撲さん」の地位を取り戻します。その十両でも当時破竹の勢いを見せていたあの逸ノ城関を破るなどの大活躍、二場所連続優勝を記録し幕内に返り咲きます。
「けがの前より強くなった」とも言われ、けがから2年後の2015年秋場所では自己最高位の東小結で10勝を記録し敢闘賞を受賞しました。これは戦後最大の三役返り咲きでした。
相撲人生が終わりかねないほどの大けがを乗り越え、それどころかむしろパワーアップして帰ってきた栃ノ心関のさらなる活躍に期待したいですね。
蒼国来 無実の罪との闘い
蒼国来関は荒汐部屋所属、中国は内モンゴル自治区出身、1984年生まれの32歳。
2003年4月に荒汐親方が新弟子のスカウトでモンゴルを訪れた際に、彼がホテルの親方を訪れ入門を直談判、その熱意と誠実さに押された親方が入門を認め彼は荒汐部屋2人目の弟子となりました。同年9月に初土俵を踏み、その後も地道な稽古を重ね初土俵から6年以上経った2009年に十両昇進を果たします。部屋初の関取となった彼は十両でも活躍、初土俵からちょうど7年の2010年9月場所で新入幕を果たします。しかしそんな矢先、角界を根幹から揺るがす大事件が起こります。
…そうです。八百長発覚事件です。
ファンにも、角界にも、激震が走りました。放駒理事長(当時)は「協会存亡の危機」「相撲の歴史上の最大の汚点」とまで言いました。この事件はそれ以前から人気低迷にあえいでいた相撲をどん底に叩き落しました。これを受けて2011年3月場所は中止(不祥事による本場所中止は史上初)となり、特別調査委員会が八百長問題の徹底調査に当たりました。
その調査の結果…
「蒼国来は八百長に関与した」
しかしこの報道が出された当日、荒汐部屋は「八百長には関与していない。本人親方ともに認定する」という旨の声明を出します。
それもそのはず。自分から入門を訴えまだ小さかった部屋に海を渡って入門、地道な努力で部屋頭にまで成長した蒼国来関。親方にとってはまさに愛弟子です。その愛弟子がやっていないと言うのに、どうして親方がそれを見放すことができましょうか。
協会から蒼国来関への引退勧告が出た際には、荒汐親方は「こういう結果になって本当に申し訳ない。こんなことになるなら内モンゴル自治区から連れてこなければ良かった」と本人や後援会を前に涙したといいます。
蒼国来関はこの勧告を拒否し、法廷闘争に入ります。当時20代後半、絶頂期の年齢に謂れなき汚名で土俵を奪われる辛さは如何ほどのものだったでしょうか。しかし彼は復帰できる日を信じて裁判の傍ら稽古を続けました。親方は協会から蒼国来関を立ち退かせるよう何度も警告を受けても蒼国来関を匿い続けました。さらには部屋のおかみさんも裁判は必ず傍聴したといいます。
そして2013年3月、東京地裁が解雇無効判決を出し翌月に協会は控訴断念。突然の八百長疑惑から丸2年、ついに彼は名誉を回復するとともに現役復帰を勝ち取ったのです。そして同年7月には解雇前と同じ番付から本場所に復帰。さすがに復帰後数場所はブランクに苦しんだものの、次第に本来の実力を取り戻した彼は再び幕内定着を果たしました。
そんな蒼国来関、先日の2016年1月場所では自己最高位の西前頭5枚目で勝ち越し!この春場所は自己最高位の西前頭4枚目で迎えます。彼を支えてくれた荒汐親方の現役時代の最高位は小結。3月場所の結果次第では蒼国来関もその小結に手が届きます。親方への恩返しを成し遂げることはできるでしょうか…!?たぶん3月場所は琴奨菊関にばかり注目が集まるのですが、まだまだ終わらない荒汐親方と蒼国来関の師弟の物語にも注目ですね!
ここまで2人の外国人力士に焦点を当てて見てきましたが、他の外国人力士も、もちろん日本人力士も、まだまだ魅力的な力士はここではとても伝えきれないほどたくさんいます…!
土俵上では圧倒的な力強さ、鮮やかな技術、体の大きさからは信じがたいようなスピードが火花を散らし、その外では上述のような感動的なヒューマンドラマが繰り広げられています。
今日から春場所が始まりますね。この機会に、そんな大相撲の世界に皆さんも一度足を踏み入れてみてください!必ず魅力を見つけられるはずです。
最後に、モンゴル勢の先駆者で昨年惜しまれながら土俵を去った元旭天鵬関(現大島親方
)の言葉で記事を締めたいと思います。(字数が許せばこの人のことも書きたかった……!)
「外国から来ても、みんなちょんまげを付けて、ゲタや雪駄を履いて…・。生まれた場所は違うけど、大相撲の文化を学んでやっている。そこに国境はないと思うんだよね。」
以上U goが相撲学概論をお送りしました!拙文に最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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